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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

this web-log. (C)Copyright 2005-2012 Kyo Nissho.

 

虚無感と始点と母性と [ガラス玉遊戯]

1.はじめに

仮定にもとづく発想として、
世界で通じる日本の技術や文化的精神について、
変化の始まり、が、母性的実態で支えられる時、
社会にただよう虚無感や無力感に対抗しうるのではないか、
ということについて、以下のように文をなした。
 
 
2.仮定

もし、

「誰が得をするか?」
という価値感が技法的なとらえられ方をすると、

「得をできる構造は何か?」
という展開になるの、かも、しれない。

すると、創造的努力をする人は搾取されがちな社会的風潮も、
起こりうる、かも、しれない。

「日本とは」という言葉が使われる時、
「何か良いネタをくれ」というニュアンスが含まれるように感じるのは、
そのためだろうか?

もちろん、「日本とは」について、創造的事実もある。
スポーツや芸術や学問で、海外で日本人が評価された場合、
創造性が存在すると共に、日本国内に良いネタができ、
みんなが得をしてWinWin関係になりうるし、
実際、なってきたと思う。

それでもただよう虚無感や無力感。
 
 
3.発想

日本に住んでいて、創造的努力が評価される、何かが欲しい。

母性。
男性や子供に対するもの『ではない』、「始まりの保護」。

2の仮定に含まれる「世界における日本」の技法的事実があれば、
それは「日本から世界へ」の変化の始点を含みうる。

同時に、
母性は人間にとって否定できない実体をともなう概念として、
確認できた場合、

「変化の始点」に「母性」が保護的に働くなら、

虚無感や無力感に対立する大きな力が生まれる、かも、
しれない。

仮定にもとづく発想であるので、
発想する楽しみとしての文として。

no1145fig4.jpg
 
 
4.発想をおこなっての感想

かつて、
家庭内での母性を頼りに、男性が横柄であった時代があったと、
私個人は感じている。

一方で、
いまほど社会に母性が求められている印象の時代も無いな、
と、これも、私個人の感じとして、ある。

変化が求められる時代、
その変化の実態が母性に支えられるなら、
その母性は時代の実態でありうるな、と感じられたのは、
発想をおこなっていて楽しいことだった。
 
 
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響(きょう)

創作の過程で、
俳句などに「式目」を想いながら行なえば、
もっと良くなるな。

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by 響(きょう) (2011-08-09 11:29) 

toshi

コメントありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
by toshi (2011-08-09 19:40) 

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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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