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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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2012年5月16日の私のツイートから [fromまいツイート]

ツイッターでのツイートの文字数が多くなったので、
So-netブログの更新もあり、まとめました。
 
 
ドイツのガイエンホーフェンにあるヘッセ博物館に行きたいという衝動。

ガラス玉遊戯の最初の図式法が出来た時にヨーロッパに行った時、
博物館の人に許可を得て写真を撮ったのだけれども、
フラッシュをたかなかったので写っていないものが多い。
自動設定のカメラをミュンヘンで失くした。

ヘッセが所有していたインドの物品のコレクションを思い出す。
小説ガラス玉遊戯の前に書かれた作品は「東方巡礼」、
後に書かれた作品は「メルヒェン」とエッセイ集の「幸福論」。

小説ガラス玉遊戯のなかで、
ガラス玉遊戯者達の集まるカスターリエン(教育州)は
設立された時の使命から外れはじめていて「変化しない世界」として
描かれている。
ヘッセはその正当性の検証を教会との比較で行ない、
その危機を「世俗から忘れられていくこと」を描いて示した。

そして、小説は終盤に向かって、
精神的に訓練されていない世俗に新しい生命力が現れることと、
世俗の生活にある葛藤が人格的に優れた人々の精神を摩耗させていることが、
主人公の精神的な目的意識を活性化していくことを描き始める。
そしてそれが、ガラス玉遊戯の運命と比較されていく。

教会に見られた数世紀を超える生活で得られた「落ち着き」は
神への信頼にもとづくものであり、
ガラス玉遊戯には「サクラメント(キリストによって定められた恩恵を受ける手段。
聖礼典。-広辞苑より-)」に該当するものは現れないだろう、
という内容の記述がある。

小説の進行において描かれていることで、“始まりの魔法”がありうるにしても。
 
 
疲労が大きいのですが、満足も大きい日々をすごしています。(^^)
 
 
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月と、

幸福論。これも興味深かったですけれど、当時の幼い私には理解できませんした・・・・また読んでみましょうか・・・。
by 月と、 (2012-06-10 17:32) 

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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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