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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

this web-log. (C)Copyright 2005-2012 Kyo Nissho.

 

立体音響と、山歩きの基本。 [球型遊戯]

立体音響は、録音再生した際の音が、自然のなかで発生しているように
する方式。山歩きの基本は、自然に受け入れられることで、自然の万物
と自分と、根源が一つであると楽しむこと。

扉があるから。

私自身の外に出る扉。

私を離れた中空で、自然が受け止めてくれる。

ささやきは私となり、私はささやきとなる。
そして、人々の心を揺らしていく。

人の心から、人の心へと、想いを残して、
渡り歩く、透明な現象になって。

ガラス玉遊戯を試してみましょう。

1.思考を世界の起源に応じさせる

気持ちを静かに落ち着けて、まず、
赤のガラス玉にグループになる考えを導き出します。
心の奥から聞こえてくる声に耳を傾けてください。

次に、青のガラス玉にも同様のことをします。

赤のガラス玉
01:音を通じての自分
02:快感を生む音の配置

青のガラス玉
03:万物と自分の共通の根源
04:自然が自分を受け入れる

01と02は立体音響を参考にしました。
03と04は山歩きの基本を参考にしました。

それぞれのガラス玉は、グループになる考えの元になった何か、です。

黄のガラス玉
01:音を通じての自分
06:現象に自分を発見する

赤のガラス玉
03:万物と自分の共通の根源
05:自分が万物に拡張される

青のガラス玉
04:自然が自分を受け入れる

この一連の手順で、潜在意識にあった「思い込み」の壁は破られ、
思考は世界の起源に応じるようになっています。

  ※ガラス玉は何個使っても良いですし、どこに配置しても、
   何回扱っても、互いに比較するなどしても良いです。

今回は、次のような操作をしました。
(とばして、2.現象化の質問から読んでくださっても結構です。)

青のグループの元になった何かを、
赤のグループの元になった何かと取り替えました。
この時、青のグループで用いていたもので、
赤に利用できるものは残し(ここでは03)、
赤のグループの元になった何かに応じ、
新しい考え(ここでは05)を加え、新しいグループを創りました。

赤のガラス玉があったところには、
グループの元になった何かの残像が残っていました。
この残像を利用して、新しいグループの元である黄に応じて
新しい考え(ここでは06)を創りました。

青には、グループの考えのうち、残すものをともなわせて、
新しい場所を与えました。

2.現象化の質問

ここで、現象化の質問に答えましょう。

なぜそれを感じたのか? :自然に受け入れられ、
             現象に自分を感じることができ、
             音を自由にすることで、
             自分に現象を感じることができる。
それは何と関係あるのか?:自分が現象になり、現象が自分になる。
             自分と現象とをへだてている「壁」を
             取り除くことができる。

3.恩恵の評価

立体音響は、自然な状態で発生している音を、
録音再生した時に再現する方式のことを意味します。

例えば、森林にいるとき、
さまざまな音がさまざまな方向・距離・強弱で起こっていて、
人間は聴覚を利用して、それぞれの音を認識します。
立体音響は、録音再生した場合、
さまざまな音のさまざまな方向・距離・強弱が再現されることを
目的とします。

自然な音に対し、音楽の演奏では、
立体音響における音は、ホールの設計による反響が考察されます。

つまり、自然音の再現では現実感の実現に目的があるのに対し、
音楽の演奏の再現では快の実現に目的があることになります。

人間は認識で、現実感を求めるのか、快を求めるのか、
興味深い差異がここにあります。

山歩きの基本は、山に入る前の情報収集から、歩き方、装備まで、
さまざまにあります。
しかし、山歩きの基本は、自然のなかで起こる障害を、
いかに未然にふせぐか、というノウハウに集約されています。

疲労・事故・不快感、これらを未然に防いで、
山歩きをすると、「自然に認められ、受け入れられた」という
感じが起こるものです。

自然に認められ、受け入れられたという感覚は、
自然のなかにある生物や、石などの無生物など、
自然のなかにある全てと自分とが一つの根源にもとづいている
という印象を生じさせるでしょう。

自然に受け入れられ、万物と自分とが同じ根源にもとづくと知る、
これが自然を楽しむということなのかもしれません。

もしかしたら、この楽しみが山歩きの基本かもしれません。

立体音響と山歩きの基本とにガラス玉遊戯を試して、
次のようなことが考えられました。

音という現象を通じて、人は快を感じます。
そして、音を自由にすることで、人々に影響を与える現象に、
自分自身を高めます。

自然は、人間に試練を与えます。
しかし、人間が自分を調整することで、自然に受け入れられると、
自然にある万物に自分自身を見いだします。

人間は、自分自身を現象に変えたり、
現象に自分自身を見いだしたりすることができます。

自分が現象になり、現象が自分になる。

人は無意識に、自分と現象とを別のものに感じています。
しかし、自分と現象とをへだてているものを取りはらうことが
可能なのです。

4.お誘い

私のHPを利用することで、誰でもガラス玉遊戯を体験できます。

慣れれば何でもないことであるにも関わらず、
体験した効果は大きいです。

ぜひ、お試しください。
http://www.magicandbeauty.com

図式:0540

この記事で紹介している情報はご自身の責任でご利用ください。

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コメント 18

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まさみー

ガラス玉・・・なんかいいですねw

好きになりました
by まさみー (2007-05-08 18:09) 

あるにゃん

うーん、深い〜ですぬ〜
by あるにゃん (2007-05-08 18:41) 

BuildBusiness

自然にいるだけで人間は癒されますが
これは、自然から奏でる音に人の体が
癒されている感じですね。
たまの休日に自然で過ごすのは良いですよね。
by BuildBusiness (2007-05-08 19:00) 

ナベちはる

自然の音が人間にどれだけ大事か分かった気がします。
何だか音楽が聴きたくなってきました^^
by ナベちはる (2007-05-08 19:12) 

けーたん

私もよく屋上で花に水をあげたり
週末ウォーキングして過ごしてますけど、
やっぱり風や木・草そして川の音と
鳥の声などでかなり癒されているし
同時に自然と一体化している気がします。
この心地いい感覚を味わってしまうと
自然が大好きになっちゃいますね(*^^*)
by けーたん (2007-05-08 20:21) 

pi-ro

今は自然の音を売ってますから。いいのかわるいのか・・・ ^^;
by pi-ro (2007-05-08 20:31) 

自然には人間は勝てません。
by (2007-05-08 21:07) 

penpen

最近、鳥の声が気になっています。家の中に居ても鳥の声が私を呼んでいる様な気がして外に出てみるのですが逃げられてしまいます。録音はしてみたのですが。
by penpen (2007-05-08 22:17) 

たいへー

結局の所、自然界の音が一番リラックス出来るんですよ。
人間も、生物なんですね。
by たいへー (2007-05-09 14:23) 

こんにちわ。

音って録音されてる音と自然の音とはちょっと違いますね^^;
録音は、なんのズレもなく毎回同じ音で聴けますが。
自然の音は、一つ一つ違うんですよ。
同じ様に聴こえたとしても、微妙に違う。
(まったく同じ音っていうのは存在しないっていうのを聞いたことが有ります)
ライヴとか行きたがる人もそうだと思いますが、生の音 自然の音を
求めて行ってるのかもしれませんね。
by (2007-05-09 19:14) 

*メィリ*

返事が遅れてしまい大変失礼いたしました。
モゥすぐ中間です。頑張りますw
やっぱえを書くのは楽しいですwいまはなんだか悩みすぎて気分が浮きません。。えをかく気になれなくて。。。グスン。。
またすぐもどりますよね?
by *メィリ* (2007-05-09 23:02) 

確かに山歩きをすると
広い世界の奥行きある音を感じますね。
限られた音ではなく、多くの音も
空気の臭いや温度なども合わさり
人は癒されるのでしょうね^^
by (2007-05-10 09:52) 

ひいろ

音とは違うのですが。
視覚作用で、月や富士山を目で見た以上に
脳が大きく認識するという話をきいたことがあります。
だから、写真で写すと違和感がでる、とも。
音にもそうゆう作用があるのかしら?
by ひいろ (2007-05-10 15:47) 

響(きょう)

まさみーさん
ガラス玉遊戯の秘密に触れていただけたのですね。
とても嬉しいです。
これからも、よろしくお願いいたしますね。

あるにゃんさん
いろいろな記事を書いていきますから、
コメントしやすいときにコメントしてくださいね。
でも、nice!は欲しいです。*^^*

BuildBusinessさん
森のなかでゆっくりとくつろぎたいと思うこのごろです。
野鳥の声とか聞きたいですね。
風で葉のそよぐ音とか。

ちはる@ナベさん
記事を書きながら、なぜ人は二つの耳で音源を感じられるのか、
興味が湧いてきました。
心豊かに暮らしたいですね。

けーたんさん
自然の影響で忘我の状態になれるって、
人間にそなわっている精神の治癒能力なのかもしれないですね。
都市にいると、興奮状態が続きますからね。あまり
良いことではないかもしれないですね。

pi−roさん
自然を楽しむために、お金が必要な世の中ですね。
文明を失うと、人類はあっという間に危機におちいるでしょうね。

魔女さん
温暖化などは、自然からのしっぺ返しですね。
人類は謙虚な生き方を覚えるべきかもしれないですね。
by 響(きょう) (2007-05-10 17:30) 

響(きょう)

penpenさん
penpenさんのなかで、
何かの変化がはじまっているのではないですか?
人間は、おのずから人生が変わるときに、
自分自身が変化することを感じるものだと思います。

たいへーさん
たいへーさんにそう言っていただけると、
自分の記事がそれほど間違っていなかったんだな、
という感じがします。
ありがとうございます。

Mさん
音を創る人や物事があって、
ライヴでその音に接することで初めて分かることがある、
というところでしょうか。
興味深い見解ですね。

*メィリ*さん
大きな目標を持って、小さなステップに分けて、
気分の乗らないときでも創作に取りかかるようにすると良いと思います。
ブログなどで表現することで、良い評価を得たら、
乗り気でなかったことも忘れてしまいますよ。

のんべいキャサリンさん
音だけでなく、香りを含めて、五感で自然のなかに自分を発見する。
賛成です。
何かのエッセンスだけ抜き取って「癒し」とするよりも、
何倍もの効果があるように思われますね。

ひいろさん
自分の置かれた状況によって、認識能力の現れ自体が変化する、
ということでしょうか?
同じ音、同じ景色、同じ香りが、認識の起こる状況によって、
まったく別のものになりうるのですね。
興味深い見解ですね。
by 響(きょう) (2007-05-10 17:41) 

こんばんは。

つきつめていくと、人間もまた・・・自然である。
という事なのでしょうか?

いつもながら深い記事ですね(^^)
by (2007-05-12 00:33) 

sera

>自然に受け入れられ、万物と自分とが同じ根源にもとづくと知る

海に入ったら、
自分が海の一部になる。
大きな野原に
そよ風を肌に受け、
自分が溶けて、
風になる~

人は自然に溶けるものですよね(^_^)v
by sera (2007-05-12 21:04) 

shikayu

私も認識によって、「音」に現実感を求める時と
快を求める時があることがあることが
はっきりわかりました。
すごく面白いです!!!このお話も!!
by shikayu (2007-05-14 00:55) 

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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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