日本・中国・西洋から探究した技芸の要
兆 調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
水 様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
果 目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。
もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26
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2012年3月12日の私のツイッターでのツイートから(一部書き直しあり) [fromまいツイート]
ツイッターでの私のツイートから。
以前住んでいた北海道は、
日本各地から人が集まった異文化共同生活と当時の開拓生活での調和での必要性と、
北海道開発費が生活の下支えをしたのとから、社会主義的な感覚が進んだことと、
私の住んでいた札幌は顕著だったけど、
東京との経済についての接続による資本主義的な側面とが、あった。
私の祖父は自民党の市議会議員で、
札幌と東京との経済的な接続に初期に取り組んだ闘争的な人だった。
様々な事情があり、私は人生で2度しか会った記憶が無いのだけど。
道議会議員を飛び級して、中央政界に進む話しがあるなか、
肝臓病で他界した。
祖父に馴染めなかった幼いころの記憶と、
東京を見て祖父の仕事を想像するところとが、同時にある。
と同時に、私のありったけの熱意で活動しても、
どこかに「通っていく道」がある実感のある東京には、
私の「素」で「楽しいな」と感じるところがある。
長い尺度で見てみると、進むべき先に向かって進んでいるのだな、
という不思議な感覚がある。
その都度、「なんて苦しい事が続くのだろう?」と感じていたけれども、
技法の発展は、その困難を無効にしてきた。
もう少し言えば、
苦難より自分の意思の継続を選択した私自身と、
いまこの現実は釣り合っているのではないか?
運命の正当性を私は定義できないけど、
「私は選択を続けた」というのは私の現実の歴史だ。
いつも、失うものより、目指すものの方が、大きかった。
私にとっては、それが正しい答えだった。
いま、
テレビ朝日でマラソン選手が「いつも誰かが助けてくれた」と話されてたけど、
人は努力して、有限な命のなかで、
その努力の意味が普遍的であれ、と思うもの。
そうすると、
かつて自分が通った道のりと同じ道のりに命がけで取り組む人に、
その普遍性の継続を見たくなるものと思う。
でも、命がけで生きた自分を、後の人に見ようとする時、
その後進の「命がけ」が本物かどうか、「実に厳しい方法」で確認する。
その「命がけ」が正当であれば問題でないけど、違ったら、
罰ゲームは実に厳しい。
どちらを選択しても、「実に厳しい」。
しかし、方向はまったく異なっているのが、普通。
なら、まっとうな厳しさの方が良いのではないか?
そう思う。
テレビと言えば、今日は、久しぶりにテレビをゆっくり見たのだけど、
東京ローカルのテレビ局のTokyoMXで、少し馴染んだ話題が出た。
「なぜ日本では警備員が多いのか?」
私は警備の仕事をしたことがある。
私の現出していくものが職務発明的に言われることを避けるため、
関係の遠い仕事をしていたから、ということもある。
一方、「なんでも、取り組んだことからは、学べるだけ学べ。」という私の勉強では、
1.警備員の仕事は、権限なしに利害関係の対立する人々の間に入る性質が、ある。
2.日本社会は「企業と周囲の人々との境界をゆるやかにする」ことを求める。そのひとつ。
昔、警備の現場で、田代まさしさんと、山口美江さんの、
お二人の控室の前の担当になったことがあった。
お二人がお見えになると、私は敬礼をしたのだけど、
田代まさしさんは楽しそうに、背面にのけぞって敬礼を返してくれて、
笑顔で「今日はガードマン通りだな」と。
山口美江さんは、通るたび、すーーっと私のそばに歩いて近づいてきて、
優しい笑顔を向けてくださると、廊下の反対側にある控室にふりかえって入っていった。
警備員には守秘義務があるのだけど、この二つの話しは「秘密」ではないのだと思う。
ところで、海外では「セカンドネーム」を用いるのが普通である。
教会からセカンドネームをさずけられる場合もあるし、
血統を示すために祖父母や尊敬する人の名前を用いる場合もある。
日本ではセカンドネームを用いる習慣はないけれども、
セカンドネームを用いて良いよう、法律が整備されている。
公的な書類では、苗字も名前も、かえていけないけれども、
それ以外では、名前は日常的に用いている、自分で決めたもので良い、
と、弁護士からは説明された。
また、ペンネームや雅号も用いて良いとのこと。例えば、雅号だと、
漱石 夏目 金之助 (夏目漱石)とか、鴎外 森 林太郎 (森鴎外)など。
雅号は、英訳すると、「ペンネーム」あるいは「エイリアス」である。
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以前住んでいた北海道は、
日本各地から人が集まった異文化共同生活と当時の開拓生活での調和での必要性と、
北海道開発費が生活の下支えをしたのとから、社会主義的な感覚が進んだことと、
私の住んでいた札幌は顕著だったけど、
東京との経済についての接続による資本主義的な側面とが、あった。
私の祖父は自民党の市議会議員で、
札幌と東京との経済的な接続に初期に取り組んだ闘争的な人だった。
様々な事情があり、私は人生で2度しか会った記憶が無いのだけど。
道議会議員を飛び級して、中央政界に進む話しがあるなか、
肝臓病で他界した。
祖父に馴染めなかった幼いころの記憶と、
東京を見て祖父の仕事を想像するところとが、同時にある。
と同時に、私のありったけの熱意で活動しても、
どこかに「通っていく道」がある実感のある東京には、
私の「素」で「楽しいな」と感じるところがある。
長い尺度で見てみると、進むべき先に向かって進んでいるのだな、
という不思議な感覚がある。
その都度、「なんて苦しい事が続くのだろう?」と感じていたけれども、
技法の発展は、その困難を無効にしてきた。
もう少し言えば、
苦難より自分の意思の継続を選択した私自身と、
いまこの現実は釣り合っているのではないか?
運命の正当性を私は定義できないけど、
「私は選択を続けた」というのは私の現実の歴史だ。
いつも、失うものより、目指すものの方が、大きかった。
私にとっては、それが正しい答えだった。
いま、
テレビ朝日でマラソン選手が「いつも誰かが助けてくれた」と話されてたけど、
人は努力して、有限な命のなかで、
その努力の意味が普遍的であれ、と思うもの。
そうすると、
かつて自分が通った道のりと同じ道のりに命がけで取り組む人に、
その普遍性の継続を見たくなるものと思う。
でも、命がけで生きた自分を、後の人に見ようとする時、
その後進の「命がけ」が本物かどうか、「実に厳しい方法」で確認する。
その「命がけ」が正当であれば問題でないけど、違ったら、
罰ゲームは実に厳しい。
どちらを選択しても、「実に厳しい」。
しかし、方向はまったく異なっているのが、普通。
なら、まっとうな厳しさの方が良いのではないか?
そう思う。
テレビと言えば、今日は、久しぶりにテレビをゆっくり見たのだけど、
東京ローカルのテレビ局のTokyoMXで、少し馴染んだ話題が出た。
「なぜ日本では警備員が多いのか?」
私は警備の仕事をしたことがある。
私の現出していくものが職務発明的に言われることを避けるため、
関係の遠い仕事をしていたから、ということもある。
一方、「なんでも、取り組んだことからは、学べるだけ学べ。」という私の勉強では、
1.警備員の仕事は、権限なしに利害関係の対立する人々の間に入る性質が、ある。
2.日本社会は「企業と周囲の人々との境界をゆるやかにする」ことを求める。そのひとつ。
昔、警備の現場で、田代まさしさんと、山口美江さんの、
お二人の控室の前の担当になったことがあった。
お二人がお見えになると、私は敬礼をしたのだけど、
田代まさしさんは楽しそうに、背面にのけぞって敬礼を返してくれて、
笑顔で「今日はガードマン通りだな」と。
山口美江さんは、通るたび、すーーっと私のそばに歩いて近づいてきて、
優しい笑顔を向けてくださると、廊下の反対側にある控室にふりかえって入っていった。
警備員には守秘義務があるのだけど、この二つの話しは「秘密」ではないのだと思う。
ところで、海外では「セカンドネーム」を用いるのが普通である。
教会からセカンドネームをさずけられる場合もあるし、
血統を示すために祖父母や尊敬する人の名前を用いる場合もある。
日本ではセカンドネームを用いる習慣はないけれども、
セカンドネームを用いて良いよう、法律が整備されている。
公的な書類では、苗字も名前も、かえていけないけれども、
それ以外では、名前は日常的に用いている、自分で決めたもので良い、
と、弁護士からは説明された。
また、ペンネームや雅号も用いて良いとのこと。例えば、雅号だと、
漱石 夏目 金之助 (夏目漱石)とか、鴎外 森 林太郎 (森鴎外)など。
雅号は、英訳すると、「ペンネーム」あるいは「エイリアス」である。
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【まだ思考されていない物事に応じる過程】
人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。
もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。
芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。
技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。
2012年3月30日
響 西庄 庸勝
人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。
もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。
芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。
技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。
2012年3月30日
響 西庄 庸勝
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