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日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

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龍の勁。他。 [私のツイートから] [fromまいツイート]

密閉型ヘッドホンでCDを聴くか、
256kbpsで録音したiPodの音楽を開放型イヤホンで聴くか、
iPadでiTunesインターネットラジオを聴くか・・・。
まずはミニコンポでCDを聴こう。 ^^

好みの音楽をiPodで切り替えながら聴くのも、
聴き慣れた音楽をCD+良いスピーカーで聴くのも、
音楽の楽しみと思うけど、
最初からコンピューターで録音した音は、コンポで再生してもMP3以上になれない。
現在の一般的な技術では。

CDが登場して数年の当時でさえ、
デジタル⇔アナログのデータ変換のロジックについて語られた。
オンオフの切り替えのデジタルデータと元の波型のアナログデータの「音の補完」は、
三角関数を利用して数値を得られる複数の波の組み合わせを扱う
フーリエ級数のデバイスへの実装による。

ノコギリ波のバイオリン、脈動する弦のピアノ、
様々な波形を的確に再現するロジックは高度になる。
しかし、高度に音源を再現するほど、
楽器としてのシンセサイザーは「つまらなくなった」。
アコースティックな楽器の音が「的確に一定に再現される楽器」は、
潜在意識下でも自然とつながっている人間には、
むしろ「退屈」な面を見せたのかもしれない。

「もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅で、ムリだと考えるなら、
 あなたは絶対勝てない。世の中を見てみろ、
 最後まで成功を願い続けた人だけが成功しているではないか。
 すべては『人の心』が決めるのだ。」
 -ナポレオン・ヒル-

今回のオリンピック、
日本選手から、「尊敬」という言葉が多く聞かれた。
相手への、審判への、観客への、他の競技の選手への。
それらが、競技の神聖さを通じて、人の崇高さを感じさせるな、
と強く感じさせられた。

試合を祝福することの大切さを、感じさせられた。

「勝つ」ことは、相手の弱みを見い出し、
そこを突き崩すことで得られることがある。
しかし、これは私の私見だけど、「試合」を祝福できることは、
その競技の普遍性を明らかにする「姿勢」であると思う。

勝たなければ評価されない。
普遍性がなければ、人の栄光は示されない。

創作などをおこなうべきなのだけど、勝手に心身が弛緩してくる。
心の深い部分が安心しているのだと思う。
睡眠時間がとても長くなっている。
人が喜ぶことが仕事なので、私個人が安心していることは、
中心的なことではないのだけれども。

今日、外出時に「でかんしょ」という看板に気づいた。
「でかんしょーでかんしょーぉで半年ゃ暮ーらーすー」の懐かしい歌の。
デカルト・カント・ショーペンハウエルの略だよね。
でも、この三人の哲学を半年で学ぶのは相当困難だよなー、と、ふと。

オーストラリアで長距離バスで移動した時に、
バス会社が地域の店などと提携していることが印象的だった。
航空会社とホテルなどは旅行代理店で結んでいそうだよね。
でも、パッケージになっていない旅の場合、何かあるかな?と思う。
飛行機は文化圏を超えて人を運ぶ。

異なった文化圏では、ホテルやレストランを探すだけで、
けっこう時間がかかる。
それが楽しい部分もあるけれども、旅の時間は貴重という面もある。
ミシュランはタイヤメーカーだけど、
タイヤ→旅→レストランガイドと進んだね。

中間の価格帯の情報って少ない印象。
少し高めだけど、その街の人しかしらない良いものがある、とか、
不快な思いをしなくて済む、とか。
高価な店は元から情報発信しているし、
安価な店なら地球の歩き方で情報が手に入るけど、
中間の価格帯の情報は・・・人によって好みが分かれる範囲か。

移動元(例えば日本)と移動先(例えばドバイ)のそれぞれに、
人の好み(動機)のカテゴリーのマッピングされたものがあって、
それを比較しながら好みの店を絞り込める、など。

以前、
車など日本の生産業について考えたことがあったのだけど、
グローバル化の時代、「世界文化部」って聞いたことないな、と。
他国の文化で、日本の生産物を考えてみる、
あるいは、他国への日本文化の発信について、など、
ユーザーには伝わってきていないと思う。

人がどうしても苦しい状態の時、
「〇〇をしなければならない」と行為を促すことが難しい。
しかし、「一つだけ〇〇はしてはならない」と
行為を限定的に制限することは行ないやすい。
過ちを犯してしまうことのある人の世界で、
「〇〇だけは聖域としよう」と決めることができる。
オリンピックなど。

人は(結果として、というのを含む)犯罪をおかしてしまうことがあるし、
(防衛的であれ)戦争がおこってしまうことがある。
それでも、どのような時でも、人が分かり合える場所が一つだけある、
という希望を求めるなら、その価値を、
その場所に参加する人は、知っていなければならない。

「それが在ることが自然なこと」と思えることが損なわれると、
それを「損失」という視点から感じられることがある。
日本だと健康や安全など。
「在るのが自然なこと」という以外の視点から「考える訓練」をすることで、
解決策が見い出されることがある。
直視しにくいテーマになることが多いけど。

快楽は必ず有限になる。
その快楽を感じる肉体が必ず有限だから。

快楽以外の無限の広がりに自分を感じることができるなら、
それは無限の豊かさと関係する。
その無限の豊かさと比較する時には、
快楽の有限の豊かさも正しく理解・把握することができる。

例えば、
深い哲理を実践によって自己と同一にしている親子がいるとする。
しかし、時には親は子に饅頭の一つを与えたいと思うだろう。
そして、その饅頭の真の意味は深い哲理によって把握され、
他の人より多い少ないとは比較されない。

おー。お宝っ!
報道ステーションを見ていて、
オリンピック選手達の練習している場所が映像で紹介されている。
「普段何を見ているのか」を拾えるかもしれない。
オリンピックの試合の録画をあまりしていなかったな、と、
録画をまわしていたのは良かった。^^
試合自体は、図書館で観られるかも。

「鬼ごっこの練習」から、「全方位の意識」、かな?
いや、私が世界トップの方々のお話しにその分野で
何か「意見」はできないけれども。
中国拳法で思い出されるのは、「龍の勁」かな。
八卦掌で端的に表現されるけれども。
練習風景を見ると、
「相手側に引力がある」かのような身体の動きが感じられた。

試合を見ると、そのあまりの速さに打突が「軽く」見えるけど、
あれは相当「重さ」があると想像される。

八卦掌:私が観たDVDのなかでは、日本人では、
程派八卦掌の本田唯人氏の演武が、勁道を学ぶことについては、
とてもインパクトがあった。


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響(きょう)

小学生のころ、
「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか。ニ、ニ、ニーチェかサルトルか。」
というCMソングがありました。

ウイスキーのCMだったかな?

なつかしー。 ^^
 
by 響(きょう) (2012-08-14 01:32) 

toshi

たしか、哲学グラスというのがありましたね。
ソクラテス、プラトン、ニーチェ、そしてゲーテと
四種類集めましたが、今は、すべてなくしてしまいました。
とっておけば、ブログで公開できたのに残念です。
by toshi (2012-08-14 06:40) 

響(きょう)

>toshiさん

ゲーテもあったのですか・・・。
ゲーテはヴァイマル公国の宰相を務めたのですよね。
ファウストが60年かけて書かれたのには驚きです。

コメント、ありがとうございます。
 
by 響(きょう) (2012-08-14 12:19) 

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【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

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