SSブログ

 

日本・中国・西洋から探究した技芸の要

調和への技法で訓練された精神と、世界の変化との、差異をとらえる。
様々な物事の未知の相互関係や発展性を見い出すため、自らを柔弱におく。
目指す物事が達成されると無条件に信じ、可能の根拠を積み上げていく。

もうすこし詳しい説明はこちら
http://glasperlenspiel.blog.so-net.ne.jp/2012-02-26

this web-log. (C)Copyright 2005-2012 Kyo Nissho.

 

2012-11-25 [日記]

PH_2490.jpg
東京都内で引っ越したのだけど、
どこでも熟睡できる私の性格はともかく、
居心地の良い部屋だ。

荷物をどんどん整理して、
部屋を広くしたい。

世間的に重要な本でも、
十年に一度しか開かないなら、
図書館に寄贈した方が良いよね。

写真は、部屋に最初に置いた、コンポ。

インターネットラジオが、まだ、
きけてない。

電波が届いてない。 ><

(C)2012 Kyo.
nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

恩師井手賁夫と進化論、ヘッセとニーチェとガラス玉遊戯と、そして私は想う。 [記録]

22歳の時に立てて、恩師井手賁夫にも確認してもらった、
50年計画の研究の部分と実践技法の部分が終了していたことに、
最近、気づいた。

いま47歳。つまり、50年の計画の根幹の部分を、
その半分の25年で終了させた結果となった。

新しい計画を立てる必要がある。計画なしに活動力を発揮するのは、
足元を見ながら自転車の速度を上げるのに似て、とても危険だ。

速度が大きいほど、力が大きいほど、その危険度も比例して大きくなる。
バランスはパースペクティブからくる。
自律神経を失調した今の静養の期間中に地平線を見つけよう。

ガラス玉遊戯と世界精神が明瞭な時、
人の活動力を、「それはあなたの勝利だ」と言える、そのパースペクティブは、
いったいどのようなものだろう?
知りたい。見たい。必要だ。

恩師井手賁夫に私がした最後の質問。
そして、初めて井手が何も答えなかった質問。

「ヘッセが進化論者で、
 人間が人間を超克する思想を持つニーチェを愛していて、
 全ての文化的資産を用いる芸術であるガラス玉遊戯を得たなら、
 人類はどのように変化するでしょう?」

札幌駅の近くを歩いていた時、北海道大学のバスが通った。
井手が乗っていることに私は気づいた。井手も私に気づいた。
あの時の井手ほど、井手は恐ろしく鋭い目で私を見たことはなかった。
それが私が井手に会った最後だった。

井手はその数か月後、京都の学会に出席し、
札幌に帰った十日後に他界した。

私の経験では、
合目的性の能力を全開にして行なう芸術であるガラス玉遊戯は、
脳全体を用いる経験を深めさせる。

もちろん、多くの学習と知見を重ねた人も全脳的な活動をする。

違いは一つ。
合法則性による全脳活動は「特定の目的」に向けられる。
合目的性による全脳活動は「既知未知の可能な全ての目的」に向かう。

では、この「既知未知の可能な目的」への全脳活動を深めるとどうなるか?

逆説的な経験が私にはあった。
「自分の一番深いところにある一回性、私だから持つ能力が実在する実感、
 それを用いやすくなっていくこと」。
しかしこれは、まだ「科学的に証明」できていない。

であるので、いままだ、この私の経験を前面に押し出して主張していない。
一方、内外の精神と事象の世界精神は客観的に説明できる。

一回性と世界精神との関係を明瞭に主張できる
「状況・状態」はいかに獲得されうるか?
獲得されれば、
「全ての、一人一人の人間が奇跡である理由」を現出できる。

最初に科学的に、
この「状況・状態」の検証をしうるものとして予見されるのは、
社会心理学の技法の応用かもしれないな・・・。
社会心理学では、心理学による予見を、
統計の技法で、実験を通して、検証するので。

原因を求めるのと同様、目的を発見するのも、
理性の能力の特徴。
全方位の既知未知の目的について観取する能力が発達すれば、
その「理性の能力の本人」、
つまり「自分自身と自分の一回性」とが鋭く現れることについては、
論理学で「説明を厚くしていく」ことは、
もちろん出来るだろう。


(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

「廃人の酒」と「もはや信じるものを失った人が何をなしうるか」と [記録]

救われない気持ちをどうしたら良いのだろうと思う。
それでも、死ぬまでは生きていなければならない。

そして、生きているなら、生きていることに、意味を与えていきたい。
今日は、もう、それ以上のことを考えられないし、そんな日はあるもの。

酒を控えるべきだけど、今日は自分に厳しさを向けたくない。

酒が美味いよ。

小説ガラス玉遊戯における最も重要なテーマは、
「人間がその精神を信頼する基準を失った時に何をなしうるか?」。

そこに、
ヘッセが第一次世界大戦の悲劇以来の「精神と自然との間の振動」という
インスピレーションが視点の一つとなり、
「音楽と瞑想」の奇跡の媒介としてガラス玉遊戯のコンセプトが生まれた。

精神と自然との間の振動という視点の活用形として、
音楽と数学との形式的類似性が、
また、自然と人との間の霊的な直観として瞑想が、
そして瞑想と音楽との親和性が、
それぞれコンセプトの骨格をなした。

しかし小説の主題は「もはや信じるものを失った人が何をなしうるか」と。

私はいま必要な経験をしている。

「酔っぱらっていればそれでいいんだよ」と思って飲める酒は、
変に旨いな☆

(≧∇≦)♪ うはは

あれだな、
「酔ってりゃそれでいいんだよ」と飲む酒は、「酒飲みの酒」で、
「とになく何かを成し遂げなければならない」と自分の神経を麻痺させながら飲む酒は、「廃人の酒」だな。

つまり、ここ最近まで、私は酒を飲みながら「廃人として」生きていたんだ・・・。
・・・愚かすぎる・・・。

人を家畜として扱おうとする人のいる世界で、廃人として生きるなんて、

トんでるよな。トびすぎてる・・・。

・・・ニーチェの本は捨ててしまったな・・・いま読んだら面白そうなのに・・・。


上品に、ではなく、たまに爆発してやろうかな?
すっごく控え目に行動しているんだよな、いまの私。
 
 
(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

“インナーシステム” from my tweet @kyoGBGwizard [つれづれ/モブログ]

「内にあるものは外にもあり、外にあるものは内にもある」という言葉は、
高い主観的妥当性と、ある程度の客観的必然性がある。

インターネットの出現してその「共有された外のフィールド」が生まれ、
「内に・・・」に普遍性が現われた。

ツイッターで、この説明は他の国々の人々にも伝わりやすかった。
 
 
精神を技法とする時代、来るかな?
 
 
対象(音や物質)をとらえる感性、
思考(概念や構想力)を形式にする悟性、
さらに上位の原因(真理や真実に至る)を人に求めていく理性。

これが理性→悟性→感性に進む時、
悟性→感性の働きを現実にするのが芸術や技術。
悟性→理性では、悟性が理性に構想力を伸ばし理性は理念(超越的概念)で招く。
 
 
この悟性→理性の過程に、人の身体の活動を含む生命活動は応じられる。
このインナーシステムを体現したのが、
日本では茶道や柔道など技芸、中国では太極拳や八卦掌など道術。
西洋であまり発達しなかったのは、
(他のさまざまな肯定的要請に応える意味でも)教会の制限によるものと判断される。
 
 
from my tweet @kyoGBGwizard
 
 
(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

くつろぐ時間と、安定した軸のような。 [日記]

夜は寝る前にできるだけ緊張を抜くため、キャンドルと音楽。
(・・・とガラス玉)

PH_2310.jpg
 
 
甘いものを少し食べるようにして。

PH_2300.jpg
 
 
とても速いペースで状況が変化していきます。

けれども、
私自身のなかに安定した軸のようなものがあるように感じ。

くつろぐ時間を楽しみながら。
 
 
     (C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

世界からの挨拶を受け取りながら。 [記録]

アクセス解析にEUとアメリカ合衆国の記録。

さらっと書くと何でもないことのようだけれども、
EUのドメイン名は、形式上、EUの各国・各国民の上位であるので、
EUの公務以外で用いられることは考えにくく、

アメリカ合衆国はインターネット発祥の地であるので、
国の識別子(例えば .jpにあたる .usa)が無いので、
記録に残るのは、一般の市民・国民とは考えにくく。

ロシア連邦とウクライナからはほぼ毎日のように。
文学・数学から、原子力関係まで、あらゆる関係に登録されている。
広範で率直なあたりかた。

高度な機関がその存在を示しながらアクセス。

120808-212513.jpg
※神田明神で買った龍のお守り。

今後の展開について、これ以上、情報を公開することはできないけど、
では、なぜここまでなら公開して良いかと判断したかと言うと、

ガラス玉遊戯の第一図式法については世界に公開済みで、
私の今後の活動も世界に対してオープンで行こうと発言を続けていること。

そして、国が発展するほど慣習が強くなるのが通常の人間社会で、他方、
意欲ある人々をフラットにつなぐことで新しいパラダイムを現わしやすいインターネット。

ある国ないし文化では普通のことが、他国に価値や意味が翻訳されることで、
常に意識が改革されていく現代。

私がこのフィールド(場)にアプローチしていることに「私達は気づいていますよ」との、
EU・アメリカ合衆国・ロシア連邦からのアクセスと感じる、私の直観を信頼するなら。

ここに理念(超越的概念:愛・自由・永遠の精神など)を認めることで、
おそらく人は、私達は、先に進むことができる。
 
 
不安定な睡眠。不安定な腸の調子。
かつて経験した精神的な不調の時期の一年ほど前の状態を思い出す。

言い換えると、本当の不調に至る一年ほど前に、
緊張がある程度解けたために、不調の信号を受け止め、
応える余地が出来たとも感じられる。
(緊張状態だと、心身からの不調の信号は意識に拒絶されるし、
 心身への更なる「引き締め」が起こるというのが、私の経験。)

方法はそろっている。理解してくれる人々も多いようだ。
(人間にとって一番大きなストレスは、批判への不安と恐怖。
 社会性が活動の根幹の一部である人間にとって、
 批判への恐怖は、死への恐怖を上回ることがある、と言われる。)
 
 
世界からの挨拶を受け取りながら。
 
 
     (C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

神田でスープカレー。後、大成殿。 [日記]

PH_2280.jpgPH_2279.jpg
技芸について、
他者から見ても存在が鮮明に感じられる、
そのような仕上がりになったと感じ、
これからの変化の前に心の切り替えをと、

神田でスープカレーを食べた後、
孔子の祀られている湯島聖堂へ。
写真は大成殿。

(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.
nice!(10)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

あとで振り返ってみると、自分でビックリするかもしれない。 [つれづれ/モブログ]

到達した喜びが身体を指先までしびれさせることと、
麻痺させて押さえ込んでいた不安が蘇ってくることが、
同時に起こる。

仕事の課題をこなして。

PH_2278.jpg

いまはギリギリの緊張状態で活動しているので、
感じ取ろうとする物事のスケールが大きくなっていて、
様々なことが相対的に控えめに感じられるけど、

あとで少し落ち着いてから、振り返ってみると、
自分でビックリするかもしれない。
 
 
(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

ドイツ料理を食べてきました [つれづれ/モブログ]

ギリギリの状態まで自分を追い込んで探究をおこない、
「一定のレベルを超えたな(出来が)」と感じ始めて数日、
「達成の実感が増し始めている」と感じつつ、
午前中をすごし。

六本木ヒルズで、ドイツ料理。

PH_2272.jpg

とても混んでいたこともあり、テラスで。
猛暑日だったのですが、お盆を過ぎ、風が少し秋を感じさせました。

札幌出身の私でも、「ん?暑いのだけど、暑く感じない」と。
テラスが日陰であったのもあり。

PH_2276.jpg

久しぶりにかき氷。

生きていくことが出来れば、課題が達成される日がくるのだな、
と感じつつ。
 
 
     (C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.

WIFM (What is it for me?) [記録]

「それは私にとって何ですか?」
という質問に答えられない販売は成立しない。

言い換えると、市場を成立させるコア(核)はWIFM。

(WIFMという言葉はニック・バレンタインという、
 アメリカのセールスパーソンから。)

ガラス玉遊戯のWIFMを見つけるのは、
最高に大変だった。

ガラス玉遊戯自体の簡略な説明はできる。
「理性領域の芸術」「可能性の芸術」。

けれども、
「それがあったなら、私にとって何が『より良く』なりますか?」
について、示す方法は、
かつてのガラス玉遊戯同様、存在しなかった。

それはともあれ、

WIFM

WIFMを新たに示すことが出来た時、
新たに市場が開かれる。
 
 
(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.
 
【まだ思考されていない物事に応じる過程】

人が思考しうる物事のなかには、
まだ思考されていない物事があります。

もし全てを思考し終えている存在者があるとすれば、
神のみです。

芸術も、
思考されうる未知の物事に応じる方法の一つです。

技芸は、
美または調和のモデルを用いて自らの活動を体系的に把握する、
姿勢であり、過程です。

2012年3月30日
響 西庄 庸勝

(C)Copyright 2012 Kyo Nissho. All rights reserved.
 

 

BlogPeople(ブログランキングなどのポータル)に登録しました。
ご来訪の記念に、クリックしてくださると、嬉しいです。
 

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。